約束ノート

「自分への3つの約束」を果たすための修行ブログ。

約束ノート(295):20130516

今日接した人の言動から気づいた「その人のいいところ」

今日のいいところ:「フィルターがきれい」であること

今日は特定の誰かという話ではないんですが、そういう人になりたいなあという意味で。
朝、ふと思い立ってFacebookにこんなことを書きました。

よく言うじゃないっすか。コップ半分の水があったときに、それを「半分しかない」と思うか「半分もある」と思うかって話。同じ事実でも、自分の心の持ちようで解釈は変わる。理屈としては非常によくわかる。

そういうのって、自分の中で「半分もある」って思い込ませろってことなのかな。
自分に素直になってはいけないってことなのかなあ。

平日朝の慌ただしい時にもかかわらずいろんな方にコメントをいただいて、いろいろ考えさせられました。「半分のコップの水」がどう見えるかは、いろんな要素で変化すると思います。自分が水を欲しているか、心の余裕があるか、コップが大きいか小さいか、あとはこのたとえ話をどういう状況で出されたのかによっても。

状況だけではなく、もともとの自分の「生き方のポリシー」によっても見えるものが変わると思います。生きていく中で自然にできていく自分の考え方というのがあって、人はすべてのものごとをそれを通して見ているんですよね。人が話す言葉も、そこから自分の脳内に入るときにフィルターがかかるわけなので、その人の意図通りに自分が解釈しているとは限らない。「事実」を解釈するのはすべて自分の積み重ねてきた何かの力なんだと思います。

と考えると、極端に偏った「フィルター」だとものごとが歪んで見えてくるんだなあと思ったのですね。それで「自分のフィルターはきれいでありたい」と思ったわけなのですが、よく考えたら「きれい」ってなんなんでしょうね。「事実」がすべて自分のフィルターを通して解釈されるのだとしたら、「ありのままの事実」というのはいったいなんなんだ?とか。多くの人と同じように解釈すること、なんだろうか??

はて。なんかわからなくなってきた(笑)

インターネットに関する気になるニュースやできごと

結果だけで物事を評価してはいけない
あああ。耳が痛い。

ブログで100万PVを目指すのであれば、100万PVを稼ぐにはどうするかを考えるのではなく、100万PVのブログ運営者として、どうあるべきかを考えましょう。

そうなんだよなー。そうなんだよ。到達まで闇雲に進むより、到達後の自分がどうなっているのかを想像できないといかんよなあ。
(あ、念のため言っておきますとブログで100万PVを目指しているわけではないですよ。たとえ話として受け取ってます)

今日の「ひとを誘導するデザイン」

今日はイベントのお手伝いに行っていたのですが、ちょっと面白い現象がありました。
イベントの受付がフロアの入口から少し離れたところにあったのですが、入口に看板があり「←」という矢印とともにそのイベントの名前が書かれた紙が貼ってありました。そのフロアでは3つの別のイベントを同時に開催していて、それぞれの受付が並んでいるというややこしい状態でした。

受付の様子を見ていると、なぜかとなりのイベントの受付の方向に間違えていく人が続出していました。事前に気がついて軌道修正はするのですが、なんか人の流れが不自然だなと思いました。

しばらくして、受付をしていた方が看板の方向が若干斜めであることに気づいたんです。微妙なのですが、確かにその角度に進んでいくととなりの受付に行ってしまうような感じでした。なるほど!と思って本当にわずかな角度でしたが看板の方向を直しました。
人ってすごいですね。ほんのわずかな角度の差でも自然に正確にその方向に向かうんですね。看板に書く矢印の方向ってすごく大事なんだな、と思いました。