約束ノート

「自分への3つの約束」を果たすための修行ブログ。

約束ノート(304):20130525

今日接した人の言動から気づいた「その人のいいところ」

今日のいいところ:自由に楽しめるほどの技術と経験を持っていること

よく一人で飲みに行くお店が年に1回やっている「音楽祭」に行ってきました。諸事情により1時間弱くらいしかいられなかったのですが、それでもとても充実した時間でした。

お店に入ると、フルートを持った人、ギターを持った人、バイオリンを持った人がそれぞれいて、それぞれがなんとなくバラバラと音を出していたのですが、そのうち「一緒にやりましょう」という空気になっていき、なんの打ち合わせもせずに突然セッションが始まりました。3人ともどうなるかわからないという感じで音を出しているはずなのによくまとまっていて、素敵な音楽を聴くことができました。なにより、演奏している本人たちがとても楽しそうでした。

お互いの音を聴いて自分がどうすべきかを考えて自分の思い通りの音を出せるって、多分ものすごい「引き出し」が必要なんだろうなと思います。技術と経験がなければ得られないものですよね。私も小学校から大学まで一応なんらかの音楽をやっていたので、ここまでの領域に達するのがどれだけのことか、よくわかります。

セッションを聴いていたら、高校時代に地元の男子校の文化祭で吹奏楽部に遊びに行ったときにその場でセッションをしようと言われてやったことがあるのを思い出しました。破綻するかもしれないというスリルと、一緒に演奏している人とコミュニケーションをとっている感じがすごく楽しかったのを覚えています。

今自分に「セッション」ができるとしたらなんだろうなあと考えていましたが、ああ、そういえば毎日やっているかもね、と思ったりしました。うまくできているかどうかはともかく、結婚生活にしろ今の仕事にしろ、どっちもふたりセッションだなあ、なんて。

インターネットに関する気になるニュースやできごと

普通と自由とゆとり世代

要は何が普通で、何が自由かという定義の問題である。

そうそう、ここが人によって違うから、サラリーマンは不自由だという人もいれば自由だという人もいて、フリーランスは自由だという人もいれば不自由だという人もいるわけで。普通ってことに関してはもっとバラバラで。

私自身は「普通の人」は誰もいないと思ってますが、本人が普通だと言っているならそれはそれで別にいいかなーと思ってたりします^^; 「自由」は相対的なもので、置かれている環境とかその人の性格や能力とかの兼ね合いで、比較論として出てくるものかなと思うので、これも本人が不自由だと言ってるならしょうがないかな、で終わっちゃう^^;

結局周りが何を言ったって、そういうことを言っている人はずっと「普通」だし「不自由」だし、それがダメだと(真剣には)思っていないから、それを選択できているのだと思っています。私は。普通も不自由も「よくないこと」とは限らないとは思います。そもそも。

そういう意味でこの方はとてもやさしい方だなあ。人は人、自分は自分と思っちゃう私は冷たいのかも。

今日の「ひとを誘導するデザイン」

ちょっと買い物があって神保町の本屋さんに行きました。目的はあったのですが、どこに行くかというあてはないまま歩いていたら、細い路地に大きな本屋さんの入口を見つけました。「神保町入口」と書かれていたので何も考えずに入ったら、雑居ビルの入口のような感じで警備員用の窓口があり、明らかに「通用口」とか「裏口」だということが見て取れました。「入ってよかったのかな」と思える空気でした^^;

たぶん、「神保町入口」という名前じゃなかったら私は入れなかったと思います。
「通用口」と書かれていたら、社員専用の入口だと思い、きっと正面入口を探したと思います。「神保町入口」という名前にしたことで、この本屋さんとしては「社員じゃなくても入れる」という誘導をしたかったのかな、と勝手に思っています。大きなデパートとかにもよく入口の名前がついてますけど、割とこのネーミングって大事なのかも、と思いました。